クマがコブラと連れ立って、オマの屋敷を初めて訪ねた時は、夕暮れの中でここはお城かと思ったものだった。本物の中世の城跡は、村の中心部で展望台になっていて、遥かな山並みの向こうは地中海、眼下にはグライダーの発着場が見える。ここまで、ひょろりと長身のヨーロピアンコブラと、色の浅黒いアジアンクマは、夜行列車とヒッチハイクで旅をした。
道中すでに大変な騒動だった。クマからすると気難しいコブラと、コブラの側から何を考えているのか見当もつかないクマは、コミュニケーションが闘いにしかならなかった。そもそも二者はジャングルで出会した野生動物で、お互いがエキゾチックな存在であり、未知の部分が魅力となった。一体どんな母親なのか興味が尽きないところへ、女城主オマの登場だ。それからオマとのつきあいはかれこれ20年。
3度目の訪問は、赤ん坊だったドラを抱えて行った。この時は長逗留で初夏から晩夏までのうちに、庭の芝生の上で、ドラが最初の一歩を踏み出した。クマの育児は孤軍奮闘状態を極めていた。いつでも母親の傍らに赤ん坊がいるというクマのやり方に、オマは異を唱え、母の用事に子は同伴せずと主張し、当時のクマは城主の意見を入れた。
午後の昼寝をしているドラを小屋に残し、母屋で掃除機を振り回しながら、クマは気が気でなかった。ドラは片時でもクマが傍らにいないと泣くのだった。広い屋敷の掃除は時間がかかる。案の定、走って小屋に戻る途中で、ドラの泣き声が聞こえる。まだ歩かないドラが、ベッドの上に立ち上がって、窓枠にしがみついてワーワーやっている。小屋に飛び込んだクマに、ドラが飛びついた。
どう見ても幸せそうな顔には見えないわね、ちょっと話しましょうか、とオマ。おっしゃるとおり、コブラの行状にすっかり黄昏きっていたクマは、救われた気分だったが、マタニティーブルーとして扱われて終わった。
屋敷にはたいてい滞在者がいて、友達やその友達、旅の者などドイツ系だけでなく国際色豊かで、クマは多くの仲間を得た。この時期、屋敷にゲストで来ていたシロキツネ、住み込みで庭仕事をしていたリスと台所で集うようになった。三者でキッチンシスターズを結成して、その日の城主との悶着について意見交換したり、”私たちはキッチンシスターズ”という歌を作って唄ったり踊ったりした。夜更けてドラが寝た後、クマ達の小屋の前のデッキに腰掛け、シスターズは星を眺めながらワインのボトルを空けていた。
フランス回想編へつづく。。。。かも。