ものを言うことも書くこともできないときがしばらく続いた。失っていた言葉が少しずつ押し出されるように出てきたのは、バラが逝ってからだった。バラは逝く時が近づいたのを知ると、すぐに仕事を辞め、奥の部屋で寝たり起きたりしながら、絶え間ない来訪者の応接をして過ごした。クマが、伺いたいが都合はいかがと連絡すると、バラから、来るもの拒まずと返事が来た。バラは身体を動かすことがしんどくなり、ソファーに横たわっていた。クマが暇を告げて立ち上がった時、バラの眼差しの深さにたじろいで、とっさにまた来ると言ってしまった。お互いの瞳には、今生での別離を確認しあい、ここでの遭遇に対する感謝が映っていたのだ、と後になって思う。
バラの館は、大きな木の室の中のごとくで、その中には多様な展示品が飾られ、そこで茶店を営んでいた。バラの在り方は、常に自身を包み隠さずさらけ出し、来し方を洗いざらい語り、喜怒哀楽を表に出して相手にぶちまけるという風があった。大勢と本音で交流する関係が生まれた。議論をし内省をし物を創り表現し発表をし、講座や講演、コンサート、パーティと進化発展して、バラが思い描いてきたように館はサロンとなった。有難くもクマは独りきりでしてきたことを、サロンで発現する機会も得た。
久しぶりにバラの館に立ち寄った。いつも薄暗かった館内が、明るく暖かく人々が集まっている。灰となったバラが置かれている祭壇は、花に溢れ美しい布に飾られお祭りのようだ。集う人々の顔が輝いて見える。バラには人を引き付け魅了する天分があった。早い時期に世界を廻りヨーロッパで暮らした経験は、どうあろうと自分を主張するという一面を助長したはずだ。そのあたりで難渋してきたクマからすれば小癪な点でもある。生き方について他者にも考えさせる役を大いに果たしてきたバラの功績で、館はまだ人々を引き寄せ続けている。
魂が此方から彼方に逝くときに、その衝撃波が身近な人々の魂にも影響を及ぼすのではなかろうか。悲しいとか寂しいという心情以前に、魂が震えているような感じがするのである。そしてその逝き方が、清々しくポジティブである場合、生きてきてよかったと来し方をも肯定できてしまうようだ。