半島の南端、長靴の踵辺りに住むティナから、素晴らしい美しさだから来るように、と言ってきた。冗談じゃあない、と普段なら思うところだ。しかし、この時のクマの状況は沸点に達していた。休暇を取らなくてはいけない、、日常から遠く離れる必要がある。圧縮されたバネが解放されたように、勢いがついている。クマの旅立ちはいつもこんな風なのだ。
出発を目前にしてチケットを取るから、とんでもない経路で飛ぶことになった。西へ行くのに、東には行かないという条件だけ入れて、最安値のルートを検索するとこうなる、という感じだ。だから、南へ飛んで、北へ飛び、やっと西へ向かうのだ。LCC(ローコスト キャリア)のチェックインカウンターは、通常のロビーには見当たらず、自動ドアと自動ドアの間にあった。ホグワーツ魔法学校行き列車のホームのようだ。機内には広告が貼ってあるし、乗務員はファーストフードの店員風で、くだけている。機内食はファーストフードにもかかわらず有料だし、お弁当持参した。
真夏の南国ジャカルタで一晩過ごすことになった。街に行くには時間的にリスキーだし、ホテルに閉じこもる気は端からない。空港ビルの外に出て、地面に緑が生えている所を見つけ、持参の布切れを広げて横になる。眠いし疲れているのだ。やはり大地に抱かれ、大気に包まれると心身が休まる。ふと、目を開けると、セキュリティーらしき輩が数名こちらを見ている。ニコリと微笑みかけてから起き上がる。
そのうちの1名がやってきて、こんな所で寝ているのはよろしくない、建物内に椅子があるからそちらへ行くようにと言う。建物内は空調が寒すぎてかなわないと訴えると、少し考えてから、向こうにモスクがあるからそこで寝られる、と指し示す。ここはモスリムだというのは初めて知ったし、モスクで寝られるというのも初耳だった。それはありがたい、スーツケースを転がして、モスクを目指す。夜更けのモスクはガラス張りの中に煌々と灯りがともり、大型扇風機が何台も唸っている。外階段では男たちが座り込んで憩っている。階段の最上段で靴を脱ぐのだと教えてくれた。外廊下に寝そべっているのもいる。
中に入って転がっていると、入れ替わり立ち返り男がやってきては、両腕を伸ばして天を仰いでから地にひれ伏すという運動を2~3回繰り返している。こうやって背骨をおもいきり伸ばしたり丸めたりを毎日行うせいか、ここの者達は小柄な身体ながらすらりとした姿である。歩きぶりも胸を張って気持ちがよい。信仰も運動から入るのならよかろうと見受けられる。
ここの女性は夜中は彷徨かないらしく、姿を見ない。カーテンに囲まれたスペースはどうやら女性用らしい。仮眠には恰好の場所である。よい所に行き着いたものだ。
次の降機地は北京である。ジャカルタではよく寝たので、この空港では温かい汁ソバを食べた。空港で過ごすのは不本意であるが、これ以上移動したくない。アボリジニはカヌーで旅すると、到着地点でしばらくじっとして、魂が遅れてやってくるのを待つのだそうだ。なるほど合点がいく。空港で寝たりおそばを食べてじっとしているうちに、魂が追いついてくるようである。さらにレオナルドダヴィンチ空港に到着した際は、時間の感覚を全く失っていた。
最後に半島南端行きのローカル線で飛び、魂を遙か後ろに残した状態で、迎えにきたティナと再会を果たした。
つづく。