ドラクマ ~さらばノラ娘!~

冬休みに入ってすぐ、ドラはフランスに飛んだ。癌と生きるオマのお呼びを断るに断れず、泣く泣く飛んでいった。病を盾に我を通し、皆が屈服するという有様になっている。父親コブラもすでにあちらにいるから、一悶着は免れないだろう。どうやらドラは、家族を繋ぎ合わせる役割らしい。

ノラを、このタイミングで父親ヤギのもとへ、のし付けて贈ることになった。大晦日の日が暮れて、迎えにきたヤギの車に皆で乗り込んだ。車中でノラは改まり、ロバに向かって”おばあちゃん、よく遊んでくれてありがとう”、クマには”おばちゃん、よく騒いでくれてありがとう”、と言った。幼いが的確な表現に恐れ入った。敬愛と憧憬の標的であるドラねえちゃんが、遠い空の下でちょうどよかったかもしれない。

ノラが父親と暮らすのは、赤ん坊の時に別れて以来の事だ。
クマは拾った6歳から8歳まで面倒を見てきたが、手放すのは惜しくも心配もある。ここで、執着を絶ち、信頼して任せる事を学ぶのだ。

どちらか選択に迫られたら、ドライでクールな道を選ぶ位でちょうどよい。生き物は7割以上温かい水分で作られているのだ。渇いているときに水分を与え、冷えているときに暖めてやればよい。内部環境のことだ。さっぱりした心持ちとわかりやすい在り方を心がけると事は運ぶ。
話は飛躍してはいない。気持ち一つで病気になったりするのだから。

そもそもノラを拾ったのは、今一度子育てをしてみたい、というクマの儚い願いが無きにしもあらずだった。ドイツでドラを育てていた頃は、コブラと子どもをめぐり激しい争奪戦の渦中で、路上で大喧嘩し子どもが泣き叫ぶ、なんて図がしばしばであった。子育てを振り返れば暗い情景ばかりで、明るい子育てをしたいと夢を抱いていたのが、ノラのあの手この手のお試し行動に翻弄され、てんやわんやの大騒ぎで終わった。周りの若い友人たちの子育てが明るく見えて仕方がない。

天の采配は、クマに家族を通して在り方を学ばせている。この新春は独りさすらうクマが、海辺や山里に現れ、寒中にザブザブ泳ぎ、日向ぼっこしては踊り回っていた。