うららかな休日、クマは久方ぶりに洗濯物を干していた。海はさぞかし綺麗に違いないと思ったが、洗濯係のロバがめかし込んで出かけてしまったので、仕方ない。めっきり腰が曲がってきたロバは、あまり人に会いたがらなくなった。腰が目立たずスラリと見えるワンピースを、ドラとクマが探してきて、敬老の日にプレゼントした。包みのまま押し入れにしまい込んでいたのが、やっと日の目を見た。
年寄りを鍛えることには、クマは賛成しない。できることを継続するのが大切だと思っている。洗濯だって何十年も好きでやってきただけに、クマよりよっぽど仕上がりがよい。最近やっと、何か仕事がないかしらと言わなくなった。社会の組織の中でである。使ってくれる所などないのに。効率の悪い年寄りは排除されているのに、年寄りだという認識が不足している。どうやら家の中でやることには、生きがいを見出すのが難しいらしい。
歳をとったら、必ずしも病気になったり呆けたりしなくてもよいのだ。健康なまま天寿を全うしたってよいのだ。仕事がなくなり役割もなくなって、社会から家族から閉め出された年寄りが、人生ネガティブになり、病んだり呆けたりする。ポジティブでいてもいいではないか。仕事も家族も放り出して、島でも山でも行くぞ、とクマは考えている。
年寄りを見て、自分もやがてああなるとはクマは考えない。年寄りを研究と実験の対象にするのに、ロバとの同居はもってこいだが、自分の親に対しては、時として冷静に客観的になれないことが多いものだ。好都合なことに、仕事場は整形外科医院と訪問手当てサービスで、相手はほとんど年寄りなのである。
人生ネガティブな年寄りは、周りが何をしようが救いようがない。通院年寄りを相手に、気合いと活を入れ発破もかけて、ちょっと手当をして、クマ体操を伝授する。時間オーバーするとお金が取れないと、ドクターに苦情を言われる。ドクターはビジネスマンなのだ。訪問先の年寄りにも、気合いと活に発破、ちょっと手当てとクマ体操伝授というのは一緒だが、自転車やドライブで海を見ながらなので、気分は愉しい。
11月だというのに海でザブザブ泳いでいる。クマだからウェットスーツも着ない。こんな社会の中で野生を保つのは生半可なことではできない。野生というのは、自然に備わった感性のことで、ガオーッと吠えるとかではない。自然の中で大地に根ざし、天空に伸び、身体を解き放ち、風を聞いて、光を受けて、気を取り込むといった健全な生き物の営みのことなのだ。
山盛りの洗濯物をロバに託し、海水浴に出かける脳天気なクマは、実は親孝行なのであった。出来ることやってもらおう。見せかけの優しさなんて愛じゃない、という台詞の実体験である。