帰国後しばらくの間、クマはドイツでの暮らしについて何も思い出さなかった。言葉もそうだし、ことごとく忘れていた。あちらで積み上げてきた事が大変だったからと、こちらでまた土台から築いていくのに精一杯で、済んだことなど覚えていられないのだろうか。まるで、砂の上のお城が一夜明けたらもろくも崩れ去ったような。。
思えば、郷に入りては郷に従う暮らしだった。地元で季節に出回るものを食べて、日本食品店で買い物はしなかった。時々イタリア産のお米をお鍋で炊くと、浅漬けと味噌汁を添えて、それだけでご馳走だった。日本食は貴重でほとんど手作りした。お味噌、うどん、おせんべい、漬け物、お餅など、特別の時に作った。普段は、野菜とお芋やパスタで、黒いパンとチーズも常食していた。旬のアスパラガスやベリー類、湖の魚など美味しかったし、白ビールとワインの醗酵過程であるフェーダヴァイザーは好物だった。
近くに音楽大学があって、日本からの留学生が入れ替わり、クマのアパートに下宿していた。卒業演奏会があると、入場無料で聴きに行った。教会のコーラスグループに所属して、パイプオルガンの伴奏で歌った。クマにとっての異国の音楽は、そこの地元のものだった。故郷から遠く離れている感じを抱くには十分な暮らしぶりだったといえる。
フラメンコダンスのスタジオに通い、ヒールでタップを踏むコツを掴むと、表現スタイルには興味がなくなった。動きを使って、自分とコミュニケートする、そして表現する、自分なりのやり方でクマダンスのクラスを始めた。出来ることを駆使して仕事にする。異国暮らしには、知恵と勇気と創造力が必要なのだ。
今、再び日本にいて知らないことが山ほどあるのに、なにやら寛いでいる。慣れていないけど馴染んでいるのだ。ドイツで地下鉄の乗り方や市場で買い物など暮らしに慣れても、サンマに大根おろしを久しぶりに食した時のような馴染んだ感覚は抱かないものだ。異国暮らしは長期集中トレーニングと言える。いつまでも緊張感がある。加えて、コブラとの激戦では疲れるはずだ。
今ここ天下太平だ。