クマにはクマ友が何名かいる。アキタのモリノクマから連絡があり、アオシシが早暁にあちらポクナモシリへ逝ってしまったと泣いている。コロ難対策で、国内外の行き来が不便となり、アキタに久しく行っていない。ブナの原生林を歩き、十二湖で踊った時のことを想った。初めて会ったアオシシはクマの写真を撮ってくれた。それ以来、春夏秋冬季節ごとに秋田に通った。縄文の山がそこに残っていた。
アオシシは、白神の山々に寝起きして写真を撮り続け、熊、猿、ニホンカモシカ達と遭遇した。独り山の夜には、お酒を吞んで時間を過ごし、昼は犬たちと行動を共にした。大自然の真っただ中で生きていたアオシシは、破壊行為が起こるたびに悲鳴を上げた。沿岸に洋上風力発電が林立している。風車に巻き込まれる野鳥たち、風車の回転による振動が引き起こす健康被害、ハタハタの沿岸漁業への影響も出ている。どうしたものだろうか。アオシシにできることは、写真を撮り大自然の有様を広く知らせる事だった。
廃校になった山奥の小学校は、浜辺の歌を作詞した人物の出身校だった。アオシシはその美しい木材で造られた校舎を蘇らせる募金活動を始めた。大自然の中の大自然の写真展示場が夢であった。
お酒におぼれるアオシシをいつも見守っていたのがモリノクマであった。モリノクマは最初、アオシシの写真の編集をしていたが、やがて写真の腕が門前の小僧のように上達した。アオシシの写真集と展示場を創ること、モリノクマの生涯をかけての事業になる。