出産前日までクマは自転車を漕ぎ湖で泳いでいた。自転車は、ふんぞり返って背もたれに寄りかかり、両脚を前方に伸ばして漕ぐ画期的なタイプを、コブラがアメリカで手に入れてドイツに送ってもらったのだ。そんな代物にアジア系の臨月のクマが乗って買い物に行くから、街ではちょっと知られた顔になっていた。湖畔の掘立小屋は、コブラが子供のころから家族の別荘だったが、ふたりで住み着いて出産を迎えようというわけだった。マリーナの敷地内で、庭の向こうにはボートが浮かんでいる。
夜中にお腹が痛くなって何度もトイレに通い、腸の内容物がスッカリ空っぽになった気がしても、また腹痛がやってくる。これは来たなと思ったが、夜中だしうずくまってじっとしていた。夜が明けて助産婦ヘバメが呼び出されてやってきた。ヘバメは、クマの様子を見たり聞いたりした後、腰かけて持参した本を開いて動かない。典型的古典派待つお産。コブラは水遊び用のゴムボートを膨らまして部屋に広げ、バケツで温湯を運んで満たし、そこで腰湯をつかうクマの腰をさすったり、スイカを切ったりして、かいがいしく立ち働いている。クマは時々襲ってくる陣痛がだんだんと激しさを増すので叫び声をあげる。天気の良い夏の日で、芝生の庭に出て歩き回ったり、ふたりで抱き合ってイタイイタイジャンプなどしていたら、スイカ割りのごとく突然足元が水浸しになった。後で考えれば破水であろう。
時々本を置いてクマを覗きに来たヘバメが、これ以上は私の手に負えないわと言う。。しばらくして、生れてはじめてクマは救急車で運ばれた。あらかじめ調べておいた自然出産を手伝う産院に着くと、3名のスタッフに囲まれて横向きに寝かされ、一人は肋骨を抑え、二人目はクマの上側の足を肩に担いで”思いっきり蹴っ飛ばせ~”と発破をかける。冗談じゃあない、もうへとへとなのだ。3人目が出口を覗いて、もうちょっとだ、と待ち構えている。コブラもクマの脇にいて、発破をかけたり覗いたりと参加協力している。室内の照明は薄明るいオレンジ色だった。
ドラがこの世に現れ出でたのは、夜中の腹痛からかれこれ19時間後の事で、ポイっとクマのお腹の上に乗せられた。苦痛でほとんど嫌気がさしていたクマは嬉しいと思う余裕はなかったが、ツルツルでピカピカのドラを見て、あんまり綺麗で驚いてしまった。こんな綺麗な子が自分から生まれ出てくるのが不思議で、これはきっと神様からの授かりものだから、大きくなるまで預かっておこうと心した。しかし、お腹の上で、えっえっえっといつまでも泣いているのには閉口した。家に帰ってからも夜通し泣いている。きっと道中の辛さや新世界にびっくりしたのだろうなあ、と今は思える。
ところで、いまだに後悔するのはあそこで2~3日泊まってくればよかった、という事だ。眠れてご飯も出してもらえたろうになあ。自宅出産と決めていたし、入院代が余計にかさんではコブラに気の毒と気を廻しすぎた。保険でカバーされるのも知らなかったし。。生まれたばかりのドラを抱いてよれよれと歩き、コブラの車に乗り湖畔の掘立小屋に帰宅した。さて、ここから始まるクマのドラ育て、薪割り、火熾し、水汲み、布おむつの手洗い、などが待っていたのだった。
つづく。。。