集団心理というものだろうか、運動会ではよく泣かされる。去年に続き今年はさらに泣かされた。姪のノラが後ろの方から疾走してくる姿によくぞ大きくなったなあと感動するのとは違う。そういった個人的感傷とは異質のものである。
ある一定の状況で起こる。特に集団演技、学年単位の群舞など、大勢で統制された動きをやる、大勢の意識が同一方向に働く、その演技に観客が意識を集中させるときに起こっている。訓練され統率された動き。大勢の波動が同一になる。これはものすごいエネルギーになっているのではないだろうか。
観客側にいる大人たちにも体験がある。身体の細胞レベルの記憶。小学校時代から叩き込まれ馴染んだ訓練と統制である。それらは一生懸命頑張る事への賛美とともに在る。そこに泣かされるのか。いや、泣きたいことが日々積もり積もっていて、莫大な波動が心の琴線に触れ、解放されているのかもしれない。いずれにしても、この集団コントロールはもの凄い。見事に統制されているのはまだ子供たちではなくて、よく教育された教師たちである。
昨年のノラたちの学年演技で、棒切れにつけた旗を振り回すのだが、一糸乱れず旗をビシッ、バシッと振るたびに涙が溢れてきた。子供たちがひたむきに頑張る姿が感動を呼ぶのとは違うな、と感じていた。統制なのだ。。。演技の最後の場面で、全員が集まり旗を持って静止した。まさにその瞬間、一陣の風が吹き旗が一斉にはためいた時には、目が覚めたような気がした。偶然とは、起こった理由がわからない場合にとりあえずそう呼んでいるだけだ。
一生懸命頑張れ!燃えろ闘魂!などのスローガンが張り出してある。ノラなんか、みんなの前で走るのは力が出ない、とか言っているぐらいで、実は一生懸命になんか走っていない。浜で素足になって、クマ、ドラ、ノラとかけっこをした時の方が、よっぽど思い切りよく走っていた。全力で疾走するのは気持ちよくて楽しいのだ。一生懸命頑張ることを美徳とする風潮は何だろうか。のんびりゆったりまったりする大切さを子供たちに伝えているだろうか?ちょっと素直になれないなあ、運動会には。オリンピックだって、大会がパフォーマンスの質を上げ、素晴らしい演技を鑑賞する機会とするなら喜ばしいけれど。