夏至の焚火

クマの形容詞から、さすらいという言葉が無くなっている。家族構成や生活環境など、物理的に時間も暇も物心両面の諸条件がさすらうのを許さない。さすらいには、独りでいることが必須で、何にも属さない気楽さとともに、常に自分をつなぎとめる何かを探し続ける。つい先日、クマの誕生日に仕事がオフでぶらついていて、もの悲しい気持ちになり、何故かを考えていた。海水浴をして浜辺で日光浴をしてうとうとし、なんて久しぶりなんだと思った。チャレンジャーでファイターであるクマがさすらわないでいるのは、どうももの悲しさがつきまとう。そうか、日常の中で冒険の旅を続けることだ。宇宙からの課題は難易度を上げてきている。

夏至の前日生まれである。太陽が頂点に昇りきる手前、常に上を見続けていよいよなのだ。一生修行状態である。道理で時々くたびれる。冬至まで上向きで飛ぶのを止めて羽を休めようかと思う。浜に出て薪を燃やした。焚き付けから芯の詰まった薪まで景気よく燃えた。強風の日で、さらに集中豪雨が通り過ぎた。ずぶぬれとなり、天の恵みの浄化を受けたかのようだった。燠が残っていて、焚き付けの竹をくべると、再び炎があがった。よし、たとえ風雨にさらされても、ハートの灯りはともしておこう。

庭のミントを摘んで、夏至のオイルを作った。深い世界を軽やかに伝えるふたご座のハーヴなのだ。星読みのムーミンが教えてくれた。ふたご座のしんがりを務めるクマにもぴったりだ。夏至の翌朝、グロッキーなクマを見つけたドラが、ミントオイルでマッサージをしてくれた。長らく痛んでいた背中が軽くなった。オイルが良いのか、爽快感と暖かなぬくもりがいつまでも残っている。いや、腕が良いのだ、とドラ。上手いからアタシの代わりに仕事してちょうだい、とクマ。

ドイツの森に棲んでいたころは、野原にケーキを持って行って、地面に直接ろうそくを立てた時もあった。いつの頃からか毎年ドラがバースディケーキを焼いてくれるようになった。ある年は、雨に降られたけど、外の好きなクマのためにドラの提案で、郊外列車の中で窓をつたう雨粒を眺め、誰もいないコンパートメントに座ってケーキにろうそくを灯した。夏至の日には大きな焚火をして、一晩中火を囲み、炎の上を跳び越すという年中行事が、ドイツの田舎には残っている。そのうちどこかで、盛大に焚火がやりたい。